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2018.06.16

理事ブログ

日本の「親権」☆その特異性【施 治安(せ はるやす)】

「子どもは親のモノ」という考えが、我々日本人が物心ついたころから刷り込まれているというのは、ほんとうかな?

1985年1月、米国フォルニア州サンタモニカの海岸で、32歳の日本人主婦が、4歳の息子と6歳の娘を道連れにして入水自殺をして、自分だけ一命をとりとめた。 心中の原因は夫の浮気。
保護された女性は、取調官に「子どもだけを残して死ぬことは心配でできなかった」などと供述したという。

我々の感覚では「痛ましい悲劇に全米が泣いた!」みたいな反応を想起するだろうが、別の意味で全米は腰が抜けるほど驚いた!その衝撃を、現地メディアが次のように報じている。

「米国では母親が愛情から子どもを殺すことは極めて稀で、あったとしてもそれは憎しみからで、狂気のさたか、身勝手な残虐行為として非難される。ところが、日本では親子心中が年間400件もある。

しかも、自分だけ死ぬより、子を道連れにする母親の方が慈悲深いとされる」「これは日本社会では就職、結婚などのさい依然、親のない子が差別される風潮があるからだ」(読売新聞 1985年3月15日)

米国刑法では、第一級殺人は懲役25年か終身刑、今回のように子ども2人を殺めれば死刑になる可能性が高い・・が、日本の判例をみれば、子殺しをした米国の死刑囚らが、うらやむような「超温情判決」がでる。

「親子心中で親だけが生き残った場合の刑罰は懲役三年以下だが、子どもを失ったことで十分な制裁を受けたとして、執行猶予がつく場合が多い」(同 読売新聞) これまで日本社会が「こども」に対してどんな仕打ちをしてきたかを振り返れば、我々に「子どもを親の所有物としてとらえる国民性」があるのは明白だ。
それを最もよく象徴するのが「親子心中」なのだ。

最高視聴率62.9%の国民的ドラマ『おしん』(NHK)を想像してもらえば分かりやすいが、近代の日本で「子ども」とは、間引く、殴る、働かす、売り飛ばす、が当たり前の扱いで、それらの虐待を乗り越えた者が「立派な大人」になれると信じられていた。
そりゃ~戦前の話だろう?

厚生労働省の統計によると、「児童虐待」は90年に1101件だったものが、この25年間で10万件超えと100倍に増えているという。(驚) 児童虐待問題を扱う人々は「親子心中」を、親による子への虐待の一形態とみている。

つまり、親子心中という虐待が(ここ25年で)減ったのは、その分だけで暴力やネグレクト、言葉いじめなど直接的な虐待に流れている、と見ることもできる。

東京 目黒区で船戸結愛ちゃんが両親から、虐待の末に死亡したとされる痛ましい事件があったばかりで、この手の事件は後を絶たない。
これらは例外的で特異なことなのだろうか?

『明日のこどもたち』という、児童養護施設の子たちを中心に描いた小説を読んでいて「私たちは、かわいそうなんかじゃない。親が子育てする能力がなかっただけ!」との言葉が、とても印象深かった。
施設の子たちは(当事者意識もないのに)世間の大人から「かわいそう」と想われることに一番傷つくのだ。

世間の大人たち全般に「子は親と一緒に暮らせないから、かわいそう」それは確かにそうなのだけど、その裏に「こどもは親のモノ」という価値観が(私の心の中も含めて)どこか潜んでいないか?自問してみましょう。

日本国憲法では、国民一人ひとりの人権が尊重されるべきと、謳っていますね。 「人権」というのは、ひとりひとりの人間が、人間らしい生活をするための権利のこと☆「自分の人生の主人公として生きること」なのです。

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